私は人生の約半分をアメリカとヨーロッパで暮らしてきました。
言うまでもないことですが、欧米の男性にはレディファーストが当たり前です。意識して親切にしているという感じではなく、男の子は子どものころから父親に厳しくしつけられるようです。ちなみにゲイの男性も、ちゃんと男性として女性を扱ってくれます。
ドアを開けて先に通してくれるとか、バスやエレベーターに先に乗せてくれるとかそういう行動だけではありません。歩道を並んで歩くときは必ず男性である自分が車道側を歩きます。階段を上るときは女性を先に上らせて、踏み外した時に自分が支えられるように後から上ります。席に案内してくれる人がいるレストランは女性が先に歩き、そうでなければ男性が先に歩きます。日本でもその程度のことは当たり前と思う人もいるでしょうが、先に通った男性がドアを抑えてくれなくてぶつかったり、真っ先にエレベーターに乗ろうとする男性を見かけます。でもそういう習慣だと分かっているので失望もしませんし、批判するつもりはありません。アメリカに暮らし始めたころは、男性にレディとして扱われるたびにいちいち恐縮していました。
この習慣のありがたいところは、若くてきれいな女性だけでなく、中年女性でもおばあさんでも同様に親切に扱ってもらえるところです。もちろん女性が美しければさらに大切にされるでしょうけれど。
さて、私が困惑するレディファーストの話です。女性を大切にするのはいいことですが、例えば食事をしようということになった時に、必ず「どこで食べたい?何が食べたい?」と聞かれます。こだわりがない私はつい「どこでもいいよ、何でも食べるよ。」と言ってしまうのですが、それが許されないのです。私が返事を絞り出すまでどこに行きたい?としつこく聞かれます。私としては、「あのレストラン美味しいらしいよ。行ってみない?」という提案をしてもらえるとありがたいです。喜んでついていきます。女性にも主体性が求められるということなのでしょう。
また、家で食事を作るとします。体の大きさが違うのですから、男性が多めに食べればいいと思うのですが、全く同じ量でないと許されないのです。今日はお腹が空いていないから、少なめでいいというと、じゃ僕も少なめでとなってしまいます。お互いに、自分が美味しいと思う量を食べればいいと思うのですが、自分だけたくさん食べるというのはどうしても嫌なようです。この欧米の等分にシェアしなければいけない、という概念は私からすれば個人の尊厳に関わる困った考え方です。
なお、日本人男性も、ヨーロッパやアメリカに来ると他の男性のふるまいをみて、自然にレディファーストが身につくようです。しないと恥ずかしいと感じるのでしょうね。
レディファーストで扱われるのを嫌う女性もいるそうです。女性を弱いものをして扱うなんて失礼だという考えらしいので、男性も気を使いますね。性別にかかわらず人を思いやることを心がけるだけで誰もが気持ちよく暮らせるのです。親切にしてもらったら、笑顔でありがとう、と言えばいいのではないでしょうか。