日曜日は義妹と姪と夫と4人でブランチをしました。義妹とその娘(姪)は、休暇から帰ってきたところで、河沿いのカフェで土産話を聞きました。
義父が亡くなってから遺品整理を手伝っていると、義妹は私が遺産を狙っているのではないかと思ったのか冷たい態度でした(当然ながら私には分配されませんし、狙うほどの遺産もありません)。葬儀の時に配ったパンフレット(義妹が編集)にも家族親戚の中で私の写真だけ載っておらず、家族として認められていないのだとがっかりしました。彼女と姪がホリデーに行っている間に夫と私で義父のゴミ屋敷に毎日通って不用品を処分し、何とか不動産屋に部屋を見せられる状態にしました。
長い休暇で疲れが取れたのか、義妹はリラックスしてご機嫌でした。
義父が急逝してもうすぐ3か月経つ現在、義妹は心の底から自由を満喫しているのだそうです。「人生の新たなチャプター(章)への扉を開けたの」と言っていました。義父をもちろん深く愛していましたが、毎週姪を連れて訪問することを期待され、訪問できないと激怒され、なるべく近居し、義父の期待に沿うようビクビクとして生きてきたのだそうです。義父がいないのは悲しいけれど、義務感から解放されて自由になったと晴れ晴れとした表情でした。これからは自分の人生にフォーカスして幸せを追求したいそうです。
私も自分の父が亡くなったあとは、全く違う世界に入ったと感じました。子どもの頃から、親を失うのが怖くて怖くて仕方がなかったのですが、その人生最大の恐怖から解放されました。
私も義父が亡くなったあとしばらくは悲しく、喪失感がありましたが、義父の趣味の爆買いを支えるために夫がしていた経済的援助(毎月約2,000ポンド=32万円相当、義妹は援助のことを知りません)が不要になり、ほっとしたことも正直な事実です。また、貯金ゼロの義父が老人ホームに入るとなると、夫は無条件にいい老人ホームに入れたと思いますし、何年続くか分からない入居費用も必然的に全額わが家計から捻出することになるので(義妹も貯金ゼロ)、今は共働きだからできても、将来を考えて不安に思っていました。さらに、義父は将来老人ホームではなく私たち夫婦と同居を望むだろうと夫が言うので、仕事をしながら介護できるか、そして義父が処分を拒否していた大量のモノを収納する場所が我が家にはなく、どうしようと考えていました。また、フルタイム勤務の私たち夫婦も当然のように毎週末訪問することを期待され、土日のうち丸1日完全につぶれてしまうのがきつかったのですが、現在は週末に一週間の疲れを回復することができるようになりました。このような感情は不謹慎かと思いましたが、夫も肩の荷が下りたと感じているそうで、自分を愛してくれる親に対する義務感は子どもにとっては負担かもしれないということを実感しています。
私としては、義父に感謝することもたくさんあります。外国人の私を家族として迎え入れてくれ、週末夫と遊びに行くとランチを作ってくれ、誕生日やクリスマスのプレゼントもたくさんもらいました。日本にいる家族の様子もいつも聞いてくれましたし、夫婦でコロナに感染し寝込んでいた去年のクリスマスには、食料など必要なものを大量に届けてくれて本当に助かりました。
夫と義父の遺品整理をしながらよく思い出話をしています。